工房を訪ねて(ふくら舎スタッフが直接工房へお伺いして直に話を聞いてきた。)

工房を訪ねて〜照屋窯・照屋佳信さん 3〜


文/中江裕司(映画監督・ふくら舎仕入担当)

 陶芸家の照屋佳信さんは那覇市小禄出身。高校を卒業すると家業を継ぐのが嫌で就職口を探していた。沖縄のヤチムン(焼き物)のメッカ、壺屋焼の仁王窯の募集を見つけ、名工、小橋川永昌さんの運転手として雇われた。永昌さんを車であちこちに連れて行ったり、港でヤチムンの輸出の仕事をしたりしていた1971年、24歳のこと。工房に蹴りろくろが一つあまっていた。

 「他の職人がやっているのを見て、見よう見真似でやってみると難しくてよ。うまくできんわけさ。それで面白くなって13年いた。誰も教えてくれないよ。見ぃなりよ。(見て習え)10時ジャー(10時のお茶休憩)、3時ジャーが楽しみで、仕事が終わると疲れ直しでいっぱい飲むのがまた楽しみ。職人が四人いてよ。理想的な体制だった。当時の壺屋は本当に楽しかった。きちんとしたソーロー言葉(丁寧な沖縄言葉)を使うおばあもいたからね。壺屋の人たちは、みな正直者ばかりだったさ。先輩職人の中には、二階に泡盛の甕があって、親方の目を盗んで飲んでいたのもいるよ。親方は知っていたけど、とがめなかった。飲んだらちゃんと、ふたを閉めとけよって言ってたぐらい。だけど、入って一年くらいしてから、登り窯が、煙が出るからということで禁止になって、薪が焚けなくなってよ。仁王窯もガス窯になった。私は、何かものを作るのが好きだったんだろうね。自分の窯を作りたくて、自宅近くの使われていないボロ家の床を全部はがして、ミニ登り窯を作ったことがあるよ。下に重油のバーナーを置いてね。一回か二回焚いてみたけど、うまく焚けんかった。豆腐屋で大豆を煮るバーナーを使っていたから、温度が上がりきらなかったんだろうね。仁王窯で運転手をやりながら、読谷村の金城次郎さんの窯に行ったことがあって、そこでヤチムンのかけらを見たのよ。こんなちっちゃね。それがね、何か違うね。素晴らしいねと思って。やっぱり、登り窯で焼かんといかんねって思ったわけ」

 金城次郎さんとは、沖縄のやちむん(焼き物)で、はじめて人間国宝になった人で、私がやちむんに惹かれるきっかけになった人。那覇市壺屋が人口密集地になり、薪を使った登り窯が使えなくなったとき、いち早く読谷村に移転し登り窯を開いた。当時、照屋さんは仁王窯に所属しガス窯を使っていた。

 照屋「仁王窯を独立してから、登り窯を作れるところをあちこち探したよ。恩納村の山の中で、今の窯の場所を見たとき、先輩の登り窯の斜面と坂が合っていたから、ここだなーと思ったよ。窯作りは、仲間が集まってくれて、いっしょにやった。土で盛っていくわけだから、楽しくてね。初窯はね、うまく焚けんかった」

(つづく)

照屋さん専用の登り窯。作品を入れる袋(部屋)が四袋ある。
この坂の角度で火が登っていく。





















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照屋佳信さんの器は、沖縄桜坂劇場内ふくら舎2階や、ふくら舎オンラインショップでお求めになれます。
ふくら舎2階
沖縄県那覇市牧志3-6-10(桜坂劇場内2階)
営業時間:10:00〜20:00
お問合せ:TEL 098-860-9555



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